Witch With Wit-*

home > Senseless Sentences > , , > Never Mind that, and Never Forget that

Never Mind that, and Never Forget that

 むかしむかしあるところに、平凡な男女がおりました。
 ごく平凡なふたりはごく平凡に出会い、ごく平凡に連れ添うようになりました。
 でもひとつだけ、ふたりには変わったところがありました。
 ふたりはナイトメアだったのです。
 
 
 
  ×
 
 
 
……そこがレーゼルドーンと呼ばれる大陸の、切り立った崖に洞窟のように偽装されたお屋敷で、自分が"奥様"の奴隷であるなんてことは、私は全く分からずに暮らしていました。
 ただ自分と同じ見た目の、今にして思えば奴隷仲間だった大人たちは、毎日奥様に血を捧げていましたし、寝台から出られない時間が日に日に増えていく奥様の、上等な羽毛布団に隠された下半身は長い蛇の形をしていました。
 奥様──ご主人様よりそう呼ばれることのほうを望まれていました。どうしてでしょうか──は、ラミアでした。
 
 奥様には他にも私達と違うところがありました。着ているものが粗末な綿のワンピースではなくたっぷり襞をとったやわらかそうな部屋着であったこととか、その髪の色がもう真っ白で、顔や手が皺だらけであったこととか。寿命が近かったのでしょう。
 
 
 
 最後の日のことは、とてもよく覚えています。
 
 
 
 その日、いつも奥様に血の入ったワイングラスを持っていく役目の、ジャンという大人の男の人が買い出し──私達の"餌"を買いに行くのです──に出ていて、たまたま私が代わりに奥様の寝所へそれを持っていきました。
 奥様は気分がいいと言って、私に話に付き合うよう命じました。
 それはその時だけのことではなくて、それまでにも何回か、奥様にその昔どこかの王宮や神殿で繰り広げた冒険──たぶん、諜報活動──のことを聞かされたことはありました。
 でも、その日奥様は、私が自分の服以外に持っていた唯一のもの、首に掛けた金属製で、簡単な幾何学模様を形成している"おもちゃ"を見せるように言いました。
 何か予感があったのかもしれません。
 
「そうね、こんな昔話はどうかしら。角のある人族の話よ。
 それとも、あの子たちはもう蛮族だったかしら」
 
 実の処、人族とか蛮族とか言われてもその時の私にはぴんとこなかったのです。
 ただ、穢れというものがあって、それを持っている人たちはそのせいで辛い目に遭っている、という話でした。
 
「でもね、皮肉な話ね。
 角のあるあの子たちの腕に授けられたのは、こちらでは奴隷にしかなれない、角のない子供だった」
 
 本来なら、そんな子供は殺してしまうのだそうです。
「角のせいで自分たちを虐げた、憎んでも憎みきれない者と同じ姿だものね。
 でもあの子たちはそうしなかった。
 人族には珍しい角のある子供、その中でも珍しく蛮族となった者、更にその中でも珍しい話ね。
 どうしてかしら? お前は、どう思う?」
 
 奥様が、私に命じるのでなく、尋ねたのは初めてのことでした。
 私は戸惑いました。だってそれまで、自分の考えなんて持たないように躾けられていましたからね。
 でも、奥様は別に私の答えなどは必要としていなかったようで、手にしていた煙管で私の"おもちゃ"を二、三度叩きました。
「"おもちゃ"だなんて言って。私が何も知らないとでも思ったのかしらねぇ?」
 奥様はまた私にはよくわからないことをつぶやきました。
 それで私も思ったことを口にしてしまいました。
 
「この"おもちゃ"のせいですか?」
 
 いつか奥様は私に言ったのです。それはお前の命を救ったものだから、大切にするようにと。
 ずっと人族の中で暮らしていた奥様の、一番人族じみたせりふだったと思っています。
 
 奥様は微笑みました。
「頭の良い子は好きよ」
 
 そして煙管をふかして、続けました。
「あの子たちも、頭は良かったのね。
 ラミアが人族を生き餌にするために、その命を取らずにそばに置いておくことを知っていた。
 トロールが貴重な労働力にするために、確保した命を遊び半分に摘んだりだけはしないことを知っていたわ」
……その言葉をゆっくり思い返すと、少し気になっていることもあるのですが、今はそれは置いておきます。
 
 
 
 そう、その時には奥様の言葉を噛みしめる余裕なんてなかったのです。
 急に外が騒がしくなったかと思うと、奥様のコレクションにあったような鎧や剣を帯びた人たちが部屋にたくさん踏み込んできたので。
 彼らの後ろには、"餌"を調達に行ったはずのジャン兄さんがいました。
 
「兄さん……何? これは」
「リーリア、何も怖がることはないんだよ。この人たちはみんなを助けに来てくれたんだ。こっちに来なさい」
 助けって、なんでしょう。
 今でも少し覚えているのですが、ここに来る前は何かに追われたり、道なき道や水のない砂漠を歩かされて、とても苦しかったのです。
 それに比べれば、ここはちょっと不思議なお屋敷ですが、お情け程度には寝る場所も食べ物もある。
 その時の私には、まともな人族の生活というものもわからなかったのですね。でもよくしてくれていたジャン兄さんが言うので、素直に鎧の人たちのほうに向かいました。
 
 奥様は微笑んでいました。
「ジャン、お前が手引きするとはね」
 兄さんは私の肩を捕まえると、そのまま部屋の外に押しやりながら答えました。
「今しかなかった。ラミアが人族に討伐されるなら、奴隷もそのまま人族の社会に戻ることができるだろう。リーリアはまだ何も知らない、余りにも……不憫だ、このままでは」
 私? 私が、なんですって?
「このままあんたの自然死を待っていれば、縄張りごと他の蛮族のものに組み込まれるだけだ」
「そうね。
 頭の良い子は好きよ」
 
 あとのことは、わかりません。
 
 
 
──それから私は、いろんな人の手を伝って、大陸を結ぶ橋を渡り、ダーレスブルグの宿で不思議な出会いを果たしたり、自分だけの寝台や衣類、そして知識を手に入れたりしました。
 "おもちゃ"の正体を教えてもらったのも、その頃です。
 気になりますか? そうですね、随分古ぼけていますが、これがその実物ですよ。
 ええ、減るものじゃないんで、触ってみてもいいですよ。
……保護されたあと、やっと自分の置かれていた状況のことを理解して、遅まきながら眠れなくなったことなんかもありました。でもこれを握りしめていると、なんとなく気分が落ち着くんです。
 いつか、これを使っていた人のことを知りたいものですね。
 

 
 
 あなたにも、ヴェクリュージェ様のご加護がありますように。

新しい記事
古い記事

return to page top