Witch With Wit-*

Ⅱ 魔女と王宮 – 逢魔が時の花嫁

 翌日、ローラはバスケットを手にしたベルと、城内の回廊を中庭にあるばら園に向かって歩いていた。母から言付かったパイを、きょうだいたちに振る舞うためだ。あらかじめ、手紙で約束は取り付けてあった。
「お兄様だけ、少し遅れるってお話だったわよね」
「はい」
 からし色の生地に、黒いレースの縁取りをあしらったドレスで、ローラは赤い絨毯が敷かれた石造りの回廊を進む。ふと、なじんだ声を耳が拾った。
「────ですね」
 少し先の一角、人が休めるよう大きめに取られた空間から、その声は聞こえてきた。目を向けるとそこに、見慣れた背の高い姿。傍らに置かれた長椅子の一つには、行儀よく腰掛けた令嬢。そばには、やや年配の婦人も付き添っている。
 ローラは立ち止まった。
「では、マルクスさまは、いらっしゃらないの?」
 明るい水色のふわふわとしたドレスの淑女は、マルクスに打ち解けた様子で尋ねる。
「ええ、せっかくのご招待でしたが」
「それはとても、残念ですわ」
 この距離からでも、彼女が小首をかしげたのが見えた。年配の婦人がたしなめる。
「こら、マルクス様を困らせるものではありませんよ」
「……ごめんなさい。皆様、楽しみにしてらしたものですから」
 青年は、いえこちらこそ、などとなだめるような返答をしたようだった。
……何よ。ああいう顔もできるんじゃない。
「ローラ」
 後ろから女性の声に呼びかけられた。はっとして振り返ると、ローラが招待した姉ロザリンドが、その夫を従えて近寄ってくるところだった。
「姉様」
「あなた、ここでよろしくてよ。ここから先はこの子と参りますわ」
 今日の姉は落ち着いた紺色のドレスだ。ローラのすぐ隣までやってくると、公爵家の嫡男である夫に微笑みかけた。穏やかな物腰の彼とは、姉に招かれて食事やお茶会をしたときに何度か同席していた。
「あら、……よろしかったら、お義兄さまもご一緒にどうぞ」
 誘ってみたが、義兄には断られた。
「申し訳ない。あいにく、これから会合がありましてね」
「この人、本当に忙しいのよ。ローラからも、もっと休むように言ってやってちょうだい」
 ロザリンドがいたずらっぽく夫をつつく。ローラは義兄と顔を合わせてくすりと笑った。
 と、彼がローラの肩越しに、何かを見つけたようだ。
「おや。姫、やつもお招きになったので?」
 視線の先を確かめるように振り返る。案の定そこには、まだ貴婦人たちの相手をしているローラの教育係がいる。姉の夫は、彼の友人でもあった。
「お呼びしましょうか」
 気を利かせたらしき一言に、ローラは首を振った。
「いえ。──いいえ、違うわ。
 行きましょう、姉様」
 義兄に会釈をし、姉の手を取ると、ローラはずんずんと回廊を突き進んだ。余計なものは、何も目に入れないことにして。

 美しく整えられたばらの株が、色も形もとりどりの花を思い思いに咲かせている。その合間にしつらえられたあずまやのテーブルに美しいクロスを広げ、ローラときょうだいたちは顔を揃えていた。
「姉上、木登りまでできるとは知らなかったなあ。得意なの?」
 ウィル王子が、先日ローラの部屋を訪れたときと似たような調子で、にこにこと言い出した。傍らでは、そのとき話題にした妹のリシア──フェリシア王女が口元を隠して「まあ」と目を丸くしている。結い上げた髪に挿した花が揺れた。
「誰から聞いたのよもう……。あたしの周り、耳が早い子ばっかりなんですもん、やんなっちゃうわ」
「そりゃもちろん、マルクスだけど?」
 弟は、さくらんぼのパイをきれいな手つきで切り分けて、口に運びながらあっさりと明かした。
「……仲のよろしいことで」
 とたんに、先ほど見かけたばかりの光景が脳裡をかすめ、もやっとする。
 弟と彼が筒抜けの仲なのは、今に始まったことではないのだが。
──もしあいつが、さっきみたいな令嬢相手にもそういう話聞かせてたりしたら、嫌だわ。
 浮かび上がった考えに、ローラは小さく首を振った。マルクスはそんなことを誰彼構わず言いふらす人間ではない。……それに、一般的なお姫様方との扱いの差だってそれこそ、今に始まったことではないのだ。
「……んー、そうねえ。そりゃ、お城にいる人の中では得意なほうだと思うわ。村ではそんなに上手いほうじゃなかったけど」
 気を取り直して答えてやる。すると下の弟、カール王子が無邪気に聞いてきた。
「裸馬に乗るのと、どっちが難しい?」
 この王子は最近荒事に興味を持ち、兵舎や厩舎を覗いては、そこに詰めている者たちから微笑ましさ半分頼もしさ半分で見守られているとのことだった。
「そっちは試したことないからわかんないわ……、けどそうね、初めて馬に乗った時って、木登りとは全然違うところが痛くなったわ」
 カールはふむふむとまじめくさってうなずいた。姫君としてはいろいろと型破りのローラだったが、きょうだいたちは皆気さくに迎えてくれていた。まったく違う世界で育ったためのちょっとしたずれを、面白がられているふしさえある。
 でもそれは、嫌な気のするものではなかった。彼らの好奇心には、相手を見下したところがなく、純粋にきらきらとしたまなざしを向けられると、こちらも素直に聞かれるままいろいろと教えてやりたくなってしまうのであった。
 一番下の妹も、パイをを器用にフォークで口へ運びながら、見るものすべてをとろけさせるような笑顔を浮かべる。
「ローラおねえさまのおかあさま、お菓子おじょうず」
「ありがとう、アデル。あなたがそんなに褒めてくれているのを聞いたら、母様もきっと大喜びよ」
 自分の婚礼の時に、母もやって来るはずだ。時間が取れたら、伝えてみようか。
 フェリシア王女が、なよやかに溜息をつく。
「……でも、お姉様がお嫁に行かれたら、もう、この美味しいお菓子もいただけないのよね」
「そんなに気に入ったんなら、時々届けさせるように言うけど? マルクスのお父様に頼んでおけば大丈夫でしょう」
「お願いしても、大丈夫かしら?」
 控えめに尋ねる彼女だったが、瞳に期待の色が宿っている。
 ローラはにっこりした。
「もちろんよ。あたしは遠くに行っちゃうけど、母様も宰相もそのことで約束を破ったりはしないと思うわ」
「ほんとう? じゃあ……楽しみにしているわね」
「よかったわね、リシア」
 喜ぶ妹の腕を、この場では最も年かさのロザリンドがぽんぽんとたたいて一緒にほほえむ。そしてローラに向き直ると、美しい眉根を寄せた。
「ごめんなさいね、わたくしたちの代わりに遠いところへやらせることになってしまって」
 彼女は、数年前に先ほどの青年貴族へ嫁いでいた。妹たちも皆、国内の有力貴族や近隣の王家へと縁組みが決まっている。
 グレンツがそこを問題視し、『まっさら』な王女との婚姻を求めてきたのは、かの国の信じる神の教えが理由だという。そのためローラに白羽の矢が立ったのだ。
「別に、あっちの宗教事情とかはお姉様の責任じゃないわよ。──いいのよ、こんなきっかけだったけど、半分だけの姫君のあたしでも、やっぱりみんなと親しくなれて嬉しかったわ」
 ローラは、テーブルを囲んでいるみんなの顔をもう一度ながめ直した。
 第二王妃の産んだ、自分とも年の近い、ロザリンドとウィリアム。
 父と若い第三王妃との間の子で、まだ幼いカールとアデル。
 そして、第一王妃の王女フェリシアと、今ここにはいないが、長兄である王太子リチャード。
 その親しみやすさや温かみ、時に見せる意外な素顔はローラにとって好ましかった。王宮を客として訪れているだけでは、決して知ることはできなかっただろう。
「それは、ローラ、わたくしも同じよ」
 姉はローラがテーブルの端にのせていた手を軽く握って言った。それをそっと握り返す。
「ありがとう、お姉様。そうね、みんなのことは、これから先の、お兄様の治世を支える同志、っていうのかな? そういうのだと思ってるの」
 それは偽りのない本心だ。
 姫君としての教養を身につけようとしているのも、顔も知らない異国の王子の元に嫁ごうとしているのも、すべて、ローラが納得してのことだ。
 雲の上の存在だった彼らのことは好きだと言えるし、その彼らの住まう特別な社会のしきたりも、……苦手だけれど、嫌いではないから。
 いつの間にか自分に集まっていた視線に、今日のローラは気負うことなく笑顔を返してみせることができた。
「心強いわ、ローレンティア」
 ロザリンドも微笑んでうなずく。弟たちも妹たちも笑顔を返してくれた。
「ああ、遅れてすまない、皆」
 そこへ、王太子である兄がバラのアーチをくぐって姿を現した。
「お兄様。取ってあるわよ」
 ローラは椅子と、テーブルの上に残しておいた母謹製のパイに手のひらを向けて示す。
「そうだな、先にいただいてしまおうか」
 兄は勧められた椅子に掛けながら、それで、とローラの顔を見据えた。
「ローレンティア、ヴァルド王子があちらを発たれたそうだ」
──それは、ローラの夫となる人物の名だ。