Witch With Wit-*

Ⅱ 魔女と王宮 – 逢魔が時の花嫁

 刈り入れ時が迫った麦が、黄金色の穂を並べて風に吹かれている。頭上ではつばめが飛び交って狩りをしているのが見える。
 いよいよ輿入れが迫ったその日、ローラは生まれ育った村を訪れていた。供は、腹心の侍女とマルクスの二人だけだ。
 すぐそばを流れる川は水量も豊かだ。それが、水車に持ち上げられてはざぶりと吐き出され、きらきらと陽光に輝いている。
 新築ぴかぴかの水車小屋を、ローラは村の子供たちと見上げていた。
「すごいね、ローラ。ぐるぐる、回ってる」
 焦げ茶色のおかっぱ頭の少女がほわあ、と目と口をまん丸にしている。ローラは少女と繋いだ手をぶんぶんと揺らしながら言った。
「あら、ゼタにも作れるのよ」
 きょとん、としたゼタの手を引き、もう数人の子供たちを手招きして、ローラは日当たりのいい土手へ向かった。なだらかな草地に、鮮やかな黄色の花を並べているのはたんぽぽだ。
 ローラは、たっぷりひだが取られた綿のドレスをからげてしゃがみ込み、無造作に茎をちぎる。
「たんぽぽ水車よ。まねして作ってみて」
 軽く裂けばくるりと丸まる丈夫な茎と、支えるための木の枝でかんたんに作れるそれは、ローラでも見上げるほどの石造りの建造物に比べればだいぶこころもとなくはあったが。
 小さな子供たちは、目を輝かせてささやかな工作に夢中になった。
「上手上手」
 大きな男の子であれば、もっと手の込んだ仕掛けでないと満足しないかもしれなかったが、その彼らは今は父親の領地を見回るマルクスにまつわりついているらしく姿が見えなかった。
 自分もそのぐらいの年頃には、本から仕入れた知識を元に、マルクスと一緒になんやかやと工作遊びに興じていたように思う。村にはたまたま同じ年代の遊び相手がおらず、ローラは小さい頃、もっぱら祖父の集めた書物を友人としていた。今にして思えばよけい孤立を深めそうな振る舞いだったが、それでもある時期からは、時たまやって来る領主の次男坊に会うのが一番の楽しみになっていた。
 自分よりもいろんなことを知っていて、何を聞いてもうっとうしがらずに教えてくれる兄貴分。──姫君教育まで施される羽目になるとは、お互い思っていなかっただろうけど。
 ローラはそう考えて、川に枝を突き刺す手を止めずに、くすりと笑った。秘密基地作り、虫や魚の捕獲と観察、書庫で発見したレシピの再現、……若君相手にふさわしくない遊びにまで、ずいぶん付き合わせたものだと思う。
 だから、城へ上がってからの彼の様子には打って変わった冷たい印象を受けていたが、実際はそれが彼の普段通りなのかもしれなかった。
 たんぽぽ水車に続いて、指輪をつくってやっていると、明るい色の髪を二つに分けて縛った子に尋ねられた。
「ねえ、ローラ姉ちゃん、お嫁さんになるって本当?」
 興味津々に目を輝かせた様子に、こちらも笑みが浮かぶ。
「あら、ウナは耳が早いのね。誰に聞いたの?」
「みんな言ってるよう」
 おかっぱのゼタが自分も知ってるよと続いた。ひとりではまだ工作ができず、綿毛を吹くことに熱中していたような小さい子たちもうなずいている。
「あらまあ、ほんとに」
「ね、ね、お嫁さんになるなら、お祝いの服着るんだよね」
 ウナは気になって仕方がないようだ。やはり女の子だ。
「そうなるわね」
「お嫁さんの頭に飾るお花、作ってあげる?」
 ゼタがたんぽぽ指輪を手に首をかしげると、もう少し年かさの少年の声が割って入ってきた。
「バッカだなあ、ローラはお姫様なんだから、もっとすごいもの被るに決まってんだろ」
「兄ちゃん」
 よく似た焦げ茶の髪の彼は、ローラの家の近くに住んでいたゼタの兄だ。
「もっとすごいもの? 宝石? ティアラ?」
「そうねー、そういうのかもしれないわね」
 ローラの返事に少女達は顔を合わせて、声を色めき立たせる。
「きゃあ、ティアラだって」
「王子様と結婚するんだもんね」
……そんなことまで。本当に耳が早い。
「ねえ、ねえ、王子様、どんな人?」
「どんな人なのかしらね。会ったことないからわかんないわ」
 さらりと言ってしまってから、もしかしてこれでは投げやりに聞こえなかったかと焦ったが、子供達は気にした風もなく口々に言い合う。
「きっと白い服着て、白いお馬さんに乗ってるんだよ、王子様だもん」
「髪は何色かな、金色かな」
「すっげえ強いかもよ!」
「王子様ならさあ、自分が戦う前にお付きの人が全部倒しちゃうんじゃない?」
「それでもさ!」
 得意満面の男の子に、ついくすくすと笑ってしまった。
……お付きの人が、ね。確かにそれが生粋の王子様やお姫様の感覚なのかもしれない。
「ほらあんたたち、マルクス様は木でも馬でもないよ。さくらんぼのパイをひとかけあげるから、下りた下りた」
 声が聞こえてそちらを見ると、男の子達が腕や肩によじ登るに任せたままのマルクスと、お盆に菓子とポットやらカップやらを並べてきた母親が角を曲がってきたのが見えた。
「母様」
「パイ!」
 ぱっと、子供達が母に群がる。ローラは立ち上がってポットを受け取ると、カップに中身を注いでマルクスと、ずっと控えていた侍女に渡した。この黄金色と立ち上る香りは、カモミールティーだ。
「ああ、どうも」
「かたじけのうございますわ、姫様」
 大臣家から付けられている侍女は、生粋の令嬢にするように、いちおう日傘をさしかけてくれてはいたのだが、このローラの振る舞いではあまり仕事になっているとは言えなかった。そもそも姫君が手ずからお茶を入れて侍女に渡すなど、相当本末転倒である。彼女はそのあたりにも故郷なのだからと片目をつぶってくれている、気の置けない相手だ。
 カモミールティーは、マルクスの好物だったはずだ。何年も前、母親の淹れるこれを苦手としていたローラに、ミルクを入れれば飲みやすくなると教えてくれたのも彼だったことを思い出す。
──牛を飼っているみたいだけど、牛乳はある? これはばあやから聞いたんだけどね。
……今日はミルクは用意されていないらしい。
 母はパイを受け取った子供達を散らすと、特別に大きめに切った一つをマルクスに渡して、ローラとよく似た紫の瞳を細めて笑う。
「すみませんねえ。いつもこの子がお城でご面倒お掛けしてるのに、こんなところまで来ていただいて。ローラはお騒がせしてませんかねえ? 向こうっ気ばかり強くってこの子はもう」
……見透かされている。マルクスは如才なく答えた。
「いえ、なかなか頭の回転も速く、人を飽きさせないお嬢さんですよ」
 予想外のことばかり引き起こすと言外に言われている。
「そうでしょう、姫君としてはどうしてもはみ出しているでしょうからねえ、この子じゃ」
「ははは」
 笑い合う二人を尻目にローラはカモミールティーをすすった。今ではだいぶ平気になったが、やっぱりミルクがほしい。
「マルクス様にはお世話をお掛けするばかりでなく、あちらの国までご一緒していただくことになってしまってねえ。ご領主様は寂しがっておいでなんじゃありませんか?」
「まあ、うちには兄もいますし。俺はもともと王太子殿下が即位して兄が親父の跡を継いだら多分地方回りになっていたでしょうから」
「それでもねえ、国の中と外じゃ勝手の違うこともあるでしょうし。
 ご領主様や奥方様は、お変わりなく?」
 そのまま世間話に突入していく二人を放っておいて、ローラはさくらんぼのパイを自分も一切れつかむと、かじりながらその場から数歩離れた。甘酸っぱさの後にやってくるスパイスの香りを楽しむ。
「おお、ローラ」
 農具を片手に休憩にやってきた祖父が、孫娘を認めて相好を崩した。鋤を地面に軽く刺して固定すると、こちらも水車小屋をまぶしそうに見上げる。
「立派なもんだ」
「そうね。あたしの代わりに、ずっと村を見守ってくれるわ」
 そう応えると、はは、と苦笑いをされた。
「お前には、こんなちっぽけな村なんかより、もっと大きなものを守るというお役目があるんだがなあ」
 この村を、生まれる家を離れることになった時にも、祖父には「わしらのことなど気にするな」と送り出されたことを思い出す。ローラはパイとお茶を持ったまま両肩をすくめた。
「いいじゃない。何事も、足元からやりなさいって言うでしょ?」
 祖父の気持ちはありがたかったが、敢えて、芝居がかった調子で言ってやる。
「──あたしを長いこと育ててくれたとこから住みよくできないで、より多くの人たちを守れるなんて思えないわ。
 もちろん、ここだけ贔屓なんかしてたら本末転倒だけどね」
 祖父はローラが幼い頃から見慣れている、にやりとした笑いを浮かべた。
「やあ、参った参った。
 お前はいい外交官になるよ」
 ローラに求められている役割を的確に表現したその言葉にほっとする。
「なら、いいんだけど」
 ローラはパイを食べてしまいながら、ゆっくりと辺りを見渡した。
 小麦やとうもろこしの畑、木の柵で囲まれた原っぱに放された牛馬や羊。点々と続く、石を積んで作った家々。村を取り囲む森。
 その向こうにはローラが今暮らしている都があり、さらにその先には隣国との境に連なる山々があるはずだ。
「ベルの村も、こんな感じだった?」
 控える侍女に尋ねる。
「ええ、姫様。うちの村は羊毛を出荷しておりますので、その刈り取りや加工をする建物がもっとたくさん並んでおりましたけれど」
「そう。うちの国は、どっちに行っても同じような気候だものね」
 カルフォーレの国土は、そう広くない。一つの王家が目を配るにはちょうどいい大きさだと思う。
 そしてその気候は穏やかで、民を養うのにちょうどいい程度の収穫も望める地域だった。そのためか住む者の気性も穏やかだ。
「……──」
 だが、山の向こうはどうなのだろうか。
 嫁ぐことになっているかの国、グレンツは最近急速に力を付けてきていた。技術の開発、軍備の増強も進めているという。
 不安があるのではない。……ただ、自分の身の振り方が突然、抗うことのできない力で書き換えられてしまった現実は、ローラを言いようのない無力感で苛んでいた。
 風に撫でられた髪を耳に掛けながら思った。この髪がもし、赤色だったなら。
「姫様」
 ベルに声を掛けられて、ローラは周囲が静まりかえっていることに気がついた。
 子供達の姿はもうなく、いつのまにか話を止めた母やマルクス、祖父が気遣わしげにこちらを見ている。
「や、やだ、どうしたの?」
 いたたまれない雰囲気にうろたえると、歩み寄ってきたのは母だ。
「不安なのかい?」
「そ、……んなんじゃないわ」
 遠慮なく切り込んで来られて、少し声が震えた。
 ごまかすように、ぱん、とスカートに付いていた藁くずを手で払いのけてみたりする。
「──ほんとに、そんなんじゃないったら。ただ、そうね、……ええと、向こうにはどんな産業、──暮らしがあるのかしら、って、そんなことを」
 思って。
 言い切ろうとしたのに、果たせなかった。腕を伸ばした母が、両手でローラの頬っぺたをつまんで横に引っ張ったからだ。
「バカだね、あんたは」
「いひゃい……へっ」
 バカだよ。つぶやいて母は頬を解放し、ぱんぱん、と勢いよく両肩を叩いて続けた。幼子に言い聞かせるように。
「王子の嫁の条件を出してきたのはグレンツの方なんだし、そんならってあんたを遣ることにしたのは陛下だろ。
 だったら、あんたはでんと構えてな。これがご所望のカルフォーレの王女様でござい、ってしれっとした顔でいりゃいいんだよ」
「えっ」
 ローラは思わず、自分の視線より少し低い位置にある母の顔を見つめ直した。この目の色は、本気だ。
「でも母様、あたし実際、ただの村娘なのに」
 一応してみた反論は、わははと笑い飛ばされる。
「あんたねぇ、そんなこと言ったら、あたしなんかただの農婦が、他国に嫁ぐ王女様の御母君だよ?」
「……身もふたもない……」
 でも、こういうのが母だ、としみじみした気持ちもわき起こってきた。そう、確かに昔からこうだった。
 そこでふと、疑問を感じてしまう。
「……あのさ、なんで陛下は……、その」
「あたしのことを見初めたのか、って?」
 聞きづらく少々濁したのだが、察して貰えたようだ。母はからりと言い放った。
「知らないよそんなこと。
 訊いてみたこともないからね」
「って母様、」
 それでいいの!?
 ローラは顎を落とした。飄々としている母に肩をつかまれたまま。
「気になるってんなら、あんたがじかに訊いてみりゃいいさ」
「できるわけないでしょ」
 そんなこと気軽にお尋ねできる立場じゃないんですけどあたし。
 反射的に返したが、母はローラの肩から両手を離して、それを天に向けて見せた。
「大丈夫だよ」
 投げやりにも見える調子だが、その声は、娘への深い信頼に満ちているようだった。
「あんたはれっきとしたカルフォーレの王女だし、なんなら古い魔女の血だって引いているんだよ。昔から、言って聞かせたろ?
 うまくやれる。
 あんたが自分で思っているより、よっぽどね」
 ローラはふと、幼かった頃のように母に甘えてみたくなった。
「どうしてそんなことが言えるの?」
 母は昔と同じ声音で、清々と答えてくれた。
「あたしの魔女の血が、教えてくれているからね」