Witch With Wit-*

30箱に1つの恋

 縁はいつ、腐るのだろうか。
 家が近くて公立を選ぶなら、小中学校が同じになるのは当たり前。高校もまあ、それで学力が近いなら当然だろう。腐れ縁と呼べるとしたら、やはり、高校三年で同じクラスになったことだろうか? そのせいで同窓会ではずっと顔を合わせることになるのだし……。いや、腐れ縁なら、大学も同じとか近所とか、そういうオチになってもよかったはずだ。
 では、何というのだろうか、この縁は。お互い都会で就職したはずが、地元に出戻って同じ職場、なんて。合縁奇縁? 少なくとも、甘やかな関係では今のところ、ない。

「おつかれーっす」
「あ、垣田君」
 オフィスに戻って社用車の鍵を戻している男に、お客様からの電話の内容を伝達する。
「ん、おっけ、じゃあ俺のパソコンに送っといて、メールしとくから」
「もう送った」
「さっすがー。サンキュ」
 学生街の、小さな不動産屋の一つ。都内でシステム系の会社に一度就職した私は、いろいろあって地元に戻り、伯父の営むここに再就職、ということになった。
 そこで再会したのが、数年前に同窓会で近況を報告し合ったはずの、この男だ。
 いつの間にこちらに戻ってきたのかはわからないが、人当たりがよくて不動産業に向いている、と思う。でもこの仕事一本でやるつもりもないようで、社長──つまり私の伯父──の了解を取って、副業としてオフィスの片隅を間借りしてイベンターのようなこともやっている、らしい。働き方改革だよ、と男二人で結託して笑っていた。
 折しも前期試験の発表を控えた二月、うちは年一番のかき入れ時を目の前にしている。
「じゃあー、私休憩取りまーす」
 垣田への伝言を待ちながら資料の整理を進めていたので、私の今日の休憩時間はちょっと後倒しになっている。給湯室に引っ込むと、朝のうちに放り込んでおいたお弁当袋を冷蔵庫から、そして最近よく食べているアイスを冷凍室から取り出した。
「何、お前またそれ食べてんの。そんなに好きだったっけ?」
 温かい紅茶も入れて席に戻ると、斜め後ろから垣田が呆れたような声を出した。
「いいじゃん。冬に食べるアイスってのが贅沢なのよ」
「そりゃ、雪見だいふくの話だろ? それ、ピノじゃん」
 そう、私が机に置いたのは、六個入りのあのアイスだ。チープなバニラの周りをチョコがコーティングしている、あれ。
「バッカスだってメルティーキッスだって冬の食べ物でしょー?」
 チョコ繋がり、を強調してみると、男は口の片端を上げて、へっと笑った。失礼な。っていうかメールはもう送り終わったのか。
 巾着からおにぎりを取り出してもぐもぐしながら、片手でビニールを剥がし、小さな赤い箱を開ける。……今日も、ない。
「一個くれない?」
 椅子ごとキャスターで寄ってきた男の伸ばした手をぺしんとはたく。
「ピノ様をディスるやつにはやらない」
「ケチ」
 何とでも言いたまえ。……横目で見れば、垣田はわざとらしいふくれっ面を作っていた。
 あざとく尖らせた唇に過去が重なる。
 中学時代、こいつのことが好きだった。

 あれは二年生の、秋の頃だったと思う。
 私は放課後、玄関横のロータリーにぽつねんと立って、親の迎えを待っていた。その日の朝に微熱があったので、送ってきてもらっていたのだ。
 キイッ、甲高い音がしてそちらを見ると、自転車にまたがってヘルメットを被った、クラスメイトの男子がすぐそばでブレーキを掛けたところだった。垣田だ。
「お前、どうしたの」
 もう部活が終わった時間で、自転車置き場の自転車も残り少なくなっている。かばんを足元に置いてぽつねんと立っている私を不思議に思ったのだろう。
 事情を言えば、彼は「ああ」とうなずき、すぐに全然違う話題を振ってきた。
「なあ、お前昨日の『きみ投げ』見た?」
 連続ドラマの略称を男子から言われて、ちょっとびっくりした。私もそれは毎週見ているけど、ちょっと恋愛要素が入ったコメディと、中学生男子が結びつかなかったので。
「見た……けど」
「まじで? なあ、颯太の妄想シーンめっちゃ笑えなかった? あれ俺さー、」
 目を輝かせた垣田の話をしばらく聞いてみると、どうやらヒロインとラブコメを繰り広げている俳優さんのことがもともと好きだったらしい。
「俺らが低学年の頃の、バルクレンジャーって戦隊もののブルーでさあ。めっちゃいいキャラで、レッドよりむしろ好きだったんだよー」
 なるほど。
「……あの人、去年の朝ドラにも出てたよね?」
「そうそう。え、見てた?」
「私はたまに、だけど……お母さんが好きで録画してて」
「あー」
「そんで今回のドラマもめっちゃ前から見なきゃって言ってて」
「あはは」
 笑っているが、垣田お前も同類項とかそういうやつなんじゃないだろうか。入り口が特撮か朝ドラかの違いだけで。
 そんな話をしていると、見覚えがある車が校門から乗り入れてきた。
「あ、親来た」
「ん、じゃあな」
 垣田は軽く顎を煽ってみせると、さっとサドルに乗り直し、自転車の方向を変えて走り去っていった。
 その後ろ姿を見て気付く。……もしかして、迎えが来るまで付き合ってくれていたのだろうか、と。
 夜、仕事を終えて帰宅した父親に聞いてみた。父は特撮マニアなのだ。
「ねえ、バルクレンジャーっていう、何年か前のやつの録画ある?」
 全話録ってあった。……大変に、好みだった。

 それから、なんとなくそいつを目で追うようになった。時々言葉を交わすこともあった。好きになっちゃった、と自覚するのに時間は掛からなかった。
 だけど、やつを体育館裏に呼び出すこともなかったし、バレンタインにチョコを忍ばせることもなかった。校則に逆らうような気概はなかったし、キャラじゃない、と思った。
 成績が同じくらいだったので、高校も一緒になった時は嬉しかった。うちの中学からは五人が進学していて、その中の二人が私たちだった。駅のホームや昇降口で時々見かけるのを、ドキドキと言うよりも、むしろ、ニマニマという感じで楽しんでいた。
 そしてある日、ひょんなことから、やつが同じクラスの女子と付き合いだしたことを知った。
 そうなんだ、というのが正直な感想だった。ショックはまったくなかった。あの放課後から、二年。──恋は終わっていたと、その時気がついた。

 高校三年で、久しぶりに同じクラスになった私たちは、いい友達だった。クラスマッチの球技大会ではお互いの種目を応援し、文化祭の準備ではあーだこーだ言い、受験勉強の合間に、担任の差し入れのアイスを楽しんだ。ちょうど、こんな風に。

──そういう形で、縁は固まったはずだったのだが。

 なんやかやあって、地元に戻った私を心配した父は、兄の会社で娘を働かせてもらえないか頼み込んだという。
 縁故という響きに抵抗はあったけど、私はその時いろいろ疲れていたし、体調にも配慮してくれる、そして会社としてもシステム化を進めるのに私の知識が役に立つ、というので結局しばらくお世話になることに決めた。二年前の話だ。
 そしたらそこに、同窓会で会った男がいたわけだ。
「佐倉?」
「あー、弥生ちゃんと垣田君は同級生なんだっけ」
「あ、社長と親戚なんでしたっけ」
 少し童顔の元同級生は、目をぱちぱちさせている。
「うん。システム周りいじれる社員入れたいって言ってたでしょ。それでねえ」
「なるほど。よろしく」
 そういえば、と私も思い出したことがあった。
「戻ってきてるって誰かに聞いたっけ。イベント、みたいなこと? をやってるって話だったけど」
「ああうん、副業でな。いやこっちが副業なのかな?」
 首をかしげているのに伯父が苦笑する。
「そこはこっちが本業って言って欲しいなあ。……ほら、商店街のご当地ヒーローできたじゃない? あれのマネジメントとかもやってるんだよ、垣田君」
「へえ……」
 まだ特撮は好きなんだなあ。趣味と実益を兼ねるって、こういうことか。

 数年ぶりの垣田は、相変わらず垣田だった。朗らかだがのんびりしていて、のんびりしているが仕事は的確。
 あー、こういう空気だったなあ、と、同じフロアで働くうちに、男にとも故郷にともつかない感想を私は持った。ぼんやりと、なんでこっちにしなかったのかなあ、という言葉が浮かんだ。その日私は、うちに帰って浸かった湯船で、ちょっと泣いた。
 でも、二年もすると図太くなるってもので。

 ごちそうさま、と巾着を片付け、おにぎりを包んでいたラップと、ピノの箱をくずかごに捨てる。
「それ、星形とかあるって、須藤が言ってたよな」
 肩越しに声。ぎくりとする。
「あ~、高校の時のでしょ?」
 受験勉強の差し入れのあれ。出されたのは、今でも付き合いのある親友の名前だ。
「そーそー。二十箱に一つだっけ。そんだけ毎日食べてたら、もう一個ぐらい見たんじゃねえの?」
「見てないし、毎日じゃないし」
 私がピノを開けるのは、休憩に被ってあんたがいるときだけじゃあ。
……なんてこいつは知るわけがないし、私も言うつもりはない。
「見たい。出てきたら教えて」
「……まあ、見つかったら、ね」
 男の真意がわからないままにゆるい約束をする。
「やりぃ。……あ、あと何だっけ。……ハート型?」
「……もっと確率低いやつね」

 願掛けをしている。垣田の前で開けたピノにハートが入っていたら、私は。
 だって二月だもん。キャラじゃなくても、そのくらいはいいじゃないか。
……でも、本当はそれ以上に、私がハートを出すより前に、向こうから言って欲しいものだと、思っている。

 指先にチョコレートの欠片がついているのを見つけ、ちろり、と舌で拭った。
「……あま」
 つぶやけば、そりゃそうだろ、と男は笑うのだ。