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光さす庭

「恋人が待ってるの」
 依頼人はヴィオラの前に革袋を置いた。その卓の上では、窓から覗く朝の光が小さな丸を作っている。
「片道だけでいいから。それに、あなた以外の人は雇えないけれど」
 言葉通り、その革袋にはヴィオラ一人分を雇うだけの相場に少し足りない分しか入っていなかった。
 この街で針子をやっていた彼女の用意できる、精一杯の報酬なのだろう。
「ウェド山のふもとの村までの護衛、でしたよね」
「ええ。本当は一人でも平気なの。でも、彼は心配性だから」
 目的地までは、守りの剣がない道を辿る必要があった。ひとたび剣の守る範囲を出ればいつ蛮族が現れるともしれない、それがこの世の中だった。
 この街の冒険者の宿には、それなりの数の冒険者がたむろっていた。その中でヴィオラが指名されたのは、同じ年頃の娘だったからかもしれない。
 横合いからの光のためか。恋人に会いに行く、と清々しい顔で告げた依頼人は、ヴィオラの目にはやたらと眩しく映った。
 断るための理由を探してみる。──なかった。
「わかりました。出発はいつですか?」
 
 
  ☆
 
 
 依頼人の名はパールと言った。旅装として身につけているマントは、布の質こそそれなりだが色合いと縫製がすばらしい。
「ご自分で縫ったんですか? 刺繍もきれいですね。草花に、鳥?」
「ほんと? ありがとう」
 素直に称賛すればパールははにかんだ。
「彼がね、好きだったの」
 "彼"かぁ。羨ましくないと言えば嘘になる。
「えーと、遠距離恋愛ってやつですか?」
「以前は街にいたんだけれど、身体を壊してしまって。それで田舎に戻ったの」
「そうだったんですか。……その、約束、とかは?」
 ついついそう聞いてしまったのは、よく知る二人の影がちらついてのことだ。
「……お得意様がいらっしゃったから、私はなかなか街を離れられなくて……。やっとお暇ができたの」
「ああ、それわかります、あたしもお仕事お願いしたいくらいだもん」
 お世辞でなくそう言えば、彼女はもう一度、小さく「ありがとう」と返した。
 
「私は街から出たことがなかったの」
 道沿いの水汲み場で手巾を絞りながら、パールはそう言う。
 ガマの穂が茶色く首を並べている池だ。
「彼は街に出稼ぎに来ていて、たまに外から帰ってくるときは私の知らない草花なんかを持ってきてくれた。刺繍のお手本にしたらどうかな、って」
 ガマの穂だけが広がる水辺。殺風景と呼んでもいい。
 だがそれを見ながら、パールは手巾を広げて微笑んだ。その仕草が、旅装よりよほど似合っていた。
「この風景を、きっとあの人も見たのね」
 
 
  ☆
 
 
 風だけが、通りを渡っていた。
 入り口から向かいの端が見渡せるような小さな村だ。建物も皆似たような顔ぶれで、──人気の感じられないところまでそっくりだった。
「あの……本当にここ?」
 ヴィオラは心なしか声をひそめてパールに伺いを立てる。
「……そうね。神殿を探してくださる?」
 なぜ、神殿?
 謎に次ぐ謎を抱きつつ、ヴィオラは通りを巡る。その中ほど、広場と言えなくもない一角に、その建物はあった。
 尖った屋根のてっぺんに、ティダンの日輪。神殿と言うよりも、礼拝所と言った方が正しいような建物だ。集会所も兼ねていたのではないだろうか。
 静寂を泳ぎ渡るように二人は中へと入る。暗視のない目に中は薄暗く、しかし正面の窓から光が差すような作りになっていた。
「なんの匂いだろ」
 どこかで嗅いだような。……見回すと、窓を背にした祭壇の手前に、供えられたお香が煙を上げていた。円錐状のそれには見覚えがある。
 既に灰になった部分から察するに、火を付けられてまださほど時間が経ってはいない。
 パールが祭壇の傍ら、窓の下の半開きの戸を押し開けた。……そうだ、護衛なんだったと思い出してヴィオラは一緒にその向こうを覗き込む。
 目が眩んだ。
──そこは、墓地だった。
 小振りの、似たような石が並んでいるところは、通りの家々を思わせた。
 目が慣れるにつれ、一人の女性が隅の石にぬかずいているのが見えてきた。
 パールはそちらに歩み寄る。
「お母様」
 こちらを振り返って驚きを顔に浮かべた女性の横に、パールは同じように膝をつく。
「参りました」
 
 
  ☆
 
 
 出されたお茶は紅玉のように赤かった。普通の茶葉とは違うのだろう、口に含めばほのかな酸味がした。
……その頃には、だいたいのところは察していた。それで、敢えて違うことを訊いてみる。
「この村は……、他の人とすれ違わなかったんですけど。
 皆さん出稼ぎに行かれてるんですか?」
 パールの恋人の母親は、……人間の年齢はよくわからないが、それほど老人という風情でもなかった。しかし、身に纏っている衣と顔つきは、ヴィオラがこれまで会ったどの人間よりもくたびれきっていた。
 その彼女が、首を横に振る。
「──何ヶ月かに一回、蛮族が現れるのです。去年までは、冒険者さんを用心棒としてお迎えしてたんですけどね」
 母親は、手元に己の湯飲みを引き寄せ、中を覗き込むように目を落とす。
「去年の蛮族は、厄介な相手だったそうです。結局、偶然近くに来ていた冒険者の一団の方々が退治してくだすったんですが……、用心棒さんと村の男たちの幾人かが帰らぬ人になりました」
 墓には、真新しいものもいくつかあったな、と思い出す。
「ロン……あの子の弟も、その時の怪我が元で。
 あの子のことも見送ったばかりでしたのに……」
 ちらと、パールの顔をうかがう。
 湯飲みを手に聞く彼女は、既にそれを知っていたように、静かにうなずいた。
「私以外の生き残りは、その時の冒険者さんたちに勧められるままこの村を出て、守りの剣がある街へ引っ越して行きました。私は……、夫と、息子たちの墓を守る以外に、せねばならないこともなく……野草摘みをして、細々と暮らしております」
 
 
  ☆
 
 
──カッサとヒルダの息子、リオ、ここに眠る。
 大したものも用意できないが、と添え、彼の母親はヴィオラにも宿を貸してくれるという。その支度を邪魔しないように、傾きかけた日差しの中、村の家々を見て回って……ここに戻ってきてしまった。
 辺境は、ヴィオラにとってもなじみ深かった。蛮族の襲撃も。
 しかし、幸いながら今まで町の防衛隊が破れるようなこともなく、こんなに疲弊した町の姿を見ることもなかった。
 次の襲撃はいつなのだろう。数ヶ月にいっぺん、と言っていた。
 細々と野草を口にしているだけの女性ならば、蛮族は見逃してくれるだろうか?
 ヴィオラは礼拝所の上の日輪を振り仰いだ。
 その下の扉が遠慮がちに開き、パールが姿を見せる。
「こちらだったのね」
 探されていたのだろうか。
 彼女は静かに歩を進め、二人して、墓の前に並ぶ。
「……ありがとう。もう一度、お母様とお話ししたかったの」
 ぽつりと石に言葉が落ちる。
「……この村のこと、ご存知だったんですか」
「彼の村だから……、噂は自然に耳に入ってくるの」
「そういうもの、ですか」
 ヴィオラにはそんな経験はない。余計なものを耳に入れまいとすることだけで、いつも精一杯だった。
「……これから、どうするんですか」
 このまますんなりと街へは帰らないような気がしていた。──護衛は片道だけと、言っていたではないか。
 パールの顔を見れば、微かに笑っていた。ヴィオラにとっては、納得しがたい笑みだった。
「あの人と言っていたの、所帯を持ったら街へお母様を呼び寄せましょうねって。
 あの人をお迎えにいらしたときに、少しお話ししたんだけど──
 村ではなんとかやっていけるし、お父様のお墓に弟さんもいらしたし」
 ヴィオラは左右の墓石を見る。それなりに時を過ごした一つに、やはり真新しい一つ。
「だから、私が来たの」
 決然とパールは言った。
「そんな、でも、その時とは何もかもが違うし……、お針子さんの……、お得意様もいたんじゃありませんか?」
 あんな腕なら、自分だって仕事を頼みたいくらいなのだ。
「お仕事は整理してきたの。遠くに行くの、って」
 近くて遠い場所。
 でも、今ならまだ帰れるじゃないか。パールが義母と共に、近いうちに辿ってしまうのは、帰りたくても帰れない国への道だ。
「それ、ちゃんとお母さんにお話ししたんですか? いくら息子の嫁になるはずだったひとでも、道連れにしたいなんて……」
「そうかもしれない。
 でも、帰りをお願いするお金はないの」
 一瞬、反射のようにもやっとした。──そして、すまなさそうなパールの視線にぶつかり、それは……彼女が自分に言い聞かせている言い訳だと知った。
 ヴィオラは掛ける言葉を見失った。
 責任の取れないことはしたくない。でも、ここでこの人たちを置いていったら、もう二度と、あの二人の前には立てない。
 横合いから聖印を照らす日の光が、苔の生えた足元をも彩っていた。
 光りさす庭をヴィオラは確かめるように見る。
 この光景を、きっと覚えておこう。
「……あたしは、街へ戻らなきゃならないんです」
 しっかりと、パールの双眼を見据えた。
「誰に頼まれなくても。
 それにあたしはお節介だから、偶然同じ目的地の人が、二人くらい同じ道を歩いてたりしたら、ついでに守っちゃうかもしれません」
──パールは、彼女によく似合うあの微笑を浮かべた。

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